第20回一箱古本市@源法院

『一箱古本市』とは、「一箱」に、もう読まなくなった本、捨てるに忍びない本、みんなに読んでもらいたい本を中心に、手作り小物・野菜・ちょっと怪しいガラクタを詰め、金沢・主計町の路地裏にある小さなお寺・源法院の境内に並べる、ささやかな古本イベントです。本好きであれば、どなたでも出店できます。
 開催されるのは毎月最終の日曜日。界隈を散歩がてら、どうぞお気に入りの一冊・一品をお探しください!

 【日 時】  1028日(日) 10〜16時頃
  【会 場】  源法院 境内&門前金沢市主計町1-6)
  【出店料】   1000円/一箱

 問合せ、申込みは、あうん堂本舗又はオヨヨ書林まで

有言実行

 新年おめでとう!と挨拶を交わしていたというのに、気がつけば1月も早や半ばを過ぎてしまった。そんなお正月気分もすっかり抜けてしまった過日、親しい友人たちと遅ればせながら恒例の新年会を催した。どこにでもある新年会だが、一つ変わっているのは参加者全員が昨年自己申告した「私の目標2011」の成果を発表し、次いで「私の目標2012」を宣言することである。
 順番に昨年の成果を自己採点して発表していくのだが、さすがにというべきか、やっぱりというべきか、100点満点はいない。それもそのはず、彼氏を作る、陶芸を極めるといった目標の友人たちは、設定が甘い、とみんなから責められる。一方、海釣りをする、店は休まないと宣言した友人たちは、誇らかに100点満点!で拍手を受ける。かくいう私の目標は、本を三点出版する!であり、結果は33点。そう、なんとか一点は日の目を見たものの、もう二点は見事に企画倒れであった。
 「夏休みにすること」とノートに書かされた小学生から、「売り上げ○○円、○○資格取得」と自己申告用紙に書き込んだ社会人となっても、私たちはいつも目先の目標に追われていたような気がしてならない。サラリーマンを辞め古本屋のオヤジになったというのに、年に一度昔と同じようなことをしているのには笑ってしまうのだが、一つ違うのは、今やりたいことを楽しんでやることができる「夢」を語っていることだろう。
 さて、オヤジの今年の目標だが……お楽しみは1年後に。

金沢一箱古本市

 毎月最終日曜日の午前9時を過ぎた頃、浅野川大橋の橋詰になにやら大きな荷物を抱えた人たちが、車で、自転車で、歩いて、やって来る。向かうのはその先の細い路地を入ったところにある、「一箱古本市」と書かれたのぼりが立つ小さなお寺だ。本堂の前の階段に腰かけているスタッフから「出店場所はクジ引きですよ」と声をかけられた両手に紙袋姿の若い女性が、あっ今日は境内だ、と声を上げその場所に座る。目の前には昔<駅弁>を売る時に使われたのと同じ大きさの箱が置かれ、その中に紙袋から取り出した文庫本や雑誌を並べていく。最後に彼女の店の屋号らしき看板を箱の前に貼り出す頃には、境内や門前の路地に本日の出店者たちの古本が詰まった箱が並び終え、お客さんがやって来るのを待っている。
 金沢の茶屋街の一つである主計町の裏通りにあるここ源法院で古本市ができないだろうか、と相談に伺ったのは3年前だった。「(お寺は)いろんな人がいつでもお参りに来て、お寺の中で仏さんのお顔を拝んで、みんなで好きなことをしゃべってもらうようにと、(本堂の)戸は開けてあります」と話してくれたTさんは、ここで加賀友禅の工房を構えている。「お参りにみえるのはお盆とか除けば、ふだんは檀家さんやご近所に暮らす人、ときおり物珍しげに覗きこむ観光のみなさんばかりです。たくさん人が来てくれたら仏さんも喜んでくれますよ」と快く快諾してくださった。
 こうして昨年の夏から始まった「一箱古本市」は、焼きたてのパンや珈琲、おはぎ、野菜が混じった一箱もあったりして、今では本好きのお客さんから近所の人まで気軽に足を運んでくださる。
 今、金沢の街中から昔のような賑わいがなくなって久しい。お仕着せのイベントよりも、一箱の古本を中心に、人と人の、人と街との新しい出会いがここ源法院から生まれるよう、ささやかだけどワクワクするこの「市」を続けよう。

【一箱古本市】
 2005年、東京は谷中・根津・千駄木(通称:谷根千)で始まった、自分の好きな古本を一箱持ち寄り一日店長として楽しむ市のこと。
 金沢では源法院(主計町1-6)参道にて、冬期を除き月1回開催しており、2011年は9月25日、10月30日の2回開催されます。

古本武者修行 その2

 前回上京したのは、昨年12月。御茶ノ水駅近くの部屋も値段もこじんまりとしたホテルに2泊し、主に中央線沿線と神田界隈の古本屋巡りに走り回ったのだが、今回のメインは違うのである。

 一つは、川崎に住む長男一家と房総の鴨川温泉に泊りがけで出かけること。次いで、この秋あうん堂本舗が企画しているイベントの打合せで鎌倉に出かけること。そして、前述の都古書組合主催の古本市に参加すること3点。同行の配偶者に言わせれば、第3項はオプションでどうぞ、の位置づけなのである。

 9日から11日までの3日間、古本市への高鳴る期待とコーフンを胸に秘めつつ、東京からアククアライン経由で、鴨川・館山を回り、川崎から鎌倉へ移動し無事打合せを終え、11日の夕方にはなんとか五反田駅近くの、相変わらず部屋と値段だけはこじんまりとしたホテルにチェックインする。(この項続く)

 

古本武者修行 その1

 あうん堂本舗は、目下冬休み中である。

 馴染みのお客さんからは、いいご身分ですな、と羨ましがられるが、いえいえ「アヒルの水掻き」ですよ、と答えている。澄ました顔で気持ちよく水面を泳ぎ回っているが、水面下の両足はフル回転しているのである。

 冬休みに入って2週間あまり、3年分(古本屋になって以来、ということ)の在庫本の整理をひとまず休み、小旅行を兼ねた東京近郊の「古本市」に出かけることにする。

 さて、地元の「古本市」しか知らないあうん堂なので、組合入会時にいただいた「全国古書組合員名簿」の巻末に掲載されている、各地の古本市案内に目を通す。

 空いている日は三連休の最終日となる月曜日だけ……と1頁ずつチェックしてゆく。午前中から市が開かれているところといえば、東京都古書組合・南部地区の市会が午前9時半開催、とある。午後はといえば、おうおう古本屋のメッカである東京古書会館で「中央市会」なる市が立つではないか。よーし、めざすは五反田! 神田! と、リズミカルな響きで声を出しながら、ネットで宿を検索するのであった。

 2月9日、暖冬で今年は一度も雪が積もらなかった早朝の街を、歩いて金沢駅に行き、越後湯沢経由でいざ東京へと向かうのであった。(この項続く)

古本は、買って満足……

 店にやって来るお客さんから、いつでもお好きな本を読めるのがいいですね、とよく声を掛けられる。私自身も二年前に店を始めた頃にはそう思っていたのだが、これが実はなかなかなのである。サラリーマン時代は、通勤電車の中の僅か10分の時間でも文庫本を開いていたというのに、今では10分あればひたすら本の表紙を拭いている。

 そんな古本屋のオヤジが久しぶりに読んだのが、樽見博著『古本通(ふるほんつう)』(平凡社新書)。 “欲しい古本は、買って満足!読んで2度目の満足!!” と書かれた帯文に惹かれ、一気に読み終えてしまった。経験の浅いオヤジには参考になるところも多かったが、今度この本を読んだお客さんが蔵書を売りにいらっしゃたらどうしよう……、と悩みの種がまた一つ増えてしまった。

本立て

 十代の終わり頃、当時大好きだったサイモン&ガーファンクルの曲が使われていた映画『卒業』を見た後、レコード店で彼らの出たばかりのアルバム『ブックエンド』を買って帰った。“ブックエンド”という詞が出てくるのは、公園のベンチに座りもの思いに沈む老人を、ブックエンドにたとえて歌う「OLD FRIENDS」1曲だけであったが、若かった私は、この歌に込められた“老い”というメッセージに、全く興味を覚えなかった。

 五十代に入り、古本屋を始めたその一年目の冬休みのこと。夜の長い北欧の街を旅していた私が、コペンハーゲンの雑貨屋で見つけたのは、両手を高々と上げた人のシルエットをした“本立て”であった。それは、金沢から遠く離れた所までやってくることが出来てよかった、と元気よく両手を振っている姿であり、また三十年余りもよく働いてきたもんだ、と腰を伸ばしているようでもあり、やれやれこれからの人生はのんびりいかなくちゃ、と深呼吸しているようにも見え、嬉しくなった。そんな私の気持ちを表している“本立て”が、今私の机の上でしっかり本を支えてくれている。

本立て ところでこの“本立て”なるもの、机だろうが床の上だろうが、どこでも簡単に本をしっかり立たせてくれるので、本好きの私はとても重宝している。今年の冬休みには大きな本箱を片付けて、代わりにベッドサイドに小さな本棚を設けたので、そこに例の“本立て”を1個置くことにした。配偶者の本棚にも余った1個を置いたところ、「本立てなんて要らないわ」とあっさり断られてしまった。

 「だって横になって読むのだから、本も横にして積んどけば背文字も見やすいでしょ!」

 本棚の隅に追いやられた“本立て”は、支えるべき本もなく、あきらめ顔でバンザイしている。

ほんたて【本立(て)】

本を立て並べ、倒れないように両側から支える道具。

ブックエンド。ほんだて。

<新明解国語辞典>

豆本(まめほん)

 昨年、『豆本講座』と名付けたワークショップを開催した時のことである。いくつか問合せがあった中に、“豆本”ってなんですか、という質問が一人の女性からあった。

 もともと愛好家のために作られることが多い“豆本”だが、その中身はと言えば、エッセイ・詩集の類から料理レシピにいたるまで、実に多種多様である。

 このようなことを説明する私も大変だが、質問してきた女性はもっと大変である。

 「面白そうですね。ところで、ワークショップはご主人が先生ですか?」

 「いやいや私にはとても……。講師は大阪から、“おまめさん”と呼ばれている女性の方に来ていただきます」

 「エーッ、おまめさん、ですか、ウソー!」

 とにもかくにも、話はなかなかワークショップの中身まで行き着かないのである。

 「本にするものを持っていけばいいかしら」

 「今回は、“豆本”の基本を学ぶだけなので、お好きな“豆本”作りは後になります」

 さて、ワークショップ当日である。小柄なおまめさんこと柴田さんが大きな袋を抱えて現れ、中から“豆本”に使うと思われる紙類はともかくとして、針金や金槌までが出て来るとは参加者のみならず、この私も驚いた。

 かくして二時間の講習も無事終わり、かの女性の手のひらに可愛い“豆本”が一冊載っていたのは言うまでもない。

 「味のある“豆本”を店の本棚に並べようと思うのだが……」

 と、配偶者に話したことがある。

 「そうね、あの時のみんなの“豆本”、可愛くてよかったわね。でもカフェだと目立たないから、“豆本”の代わりに“豆ダイヤ”を私の耳につけるというのはどうかしら」

 以来、我が家で“豆本”の話はしたことがない。

まめほん【豆本】①(携帯用に便利なように作った)小型の本。②(愛好家だけに頒布する)装丁に善美を凝らした超小型の本。<新明解国語辞典>