第20回一箱古本市@源法院

『一箱古本市』とは、「一箱」に、もう読まなくなった本、捨てるに忍びない本、みんなに読んでもらいたい本を中心に、手作り小物・野菜・ちょっと怪しいガラクタを詰め、金沢・主計町の路地裏にある小さなお寺・源法院の境内に並べる、ささやかな古本イベントです。本好きであれば、どなたでも出店できます。
 開催されるのは毎月最終の日曜日。界隈を散歩がてら、どうぞお気に入りの一冊・一品をお探しください!

 【日 時】  1028日(日) 10〜16時頃
  【会 場】  源法院 境内&門前金沢市主計町1-6)
  【出店料】   1000円/一箱

 問合せ、申込みは、あうん堂本舗又はオヨヨ書林まで

恒例のバーゲン!

夏のバーゲンが始まった。夏物を夏が来る前に処分してどうなるのと?と思うのは私だけではないと思う。東京では、始める時期を遅らせているらしい。今まで段々と、早まって来た反省かららしい。確かにバーゲンは早い者勝、それで段々と早まって来たというのだ。それが、夏の前に夏物バーゲンという、自殺行為につながったようだ。
 では古本業界ではどうか?本にはあまり季節がない。腐る物でもない。管理さえ良ければ、多少はヤケるがシミにはならない。知っている出版社では、地下の倉庫でエアコンをかけて、暗い中で保管していた。
 とは言え、お客様にはバーゲン歓迎だろう。では古本屋が、バーゲンしたらどうなるのか?それはそれはドット売れて、「こんなに古本は売れるものなのか」と古本屋を始めて、初めてニンマリ出来るだろう。
だがその時だけ。夜逃げでもするのにはいいかも知れないが、バーゲン後は売れない本ばかり残って、まったく売れなくなる。では仕入れれば良い?どっこい問屋がない。市に仕入れに行っても、売れ筋の本がない。集めるには金があってもダメ、時間をかけなきゃダメ。トホホ・・・・・。
 したがって出来ないわけ。でもどこかのチェーン店でやってたなあ・・・・・・。さすがはチェーン店・・・・・・。

もらって嬉しい句集とは

ゆうべ、本好き友達三人とひさしぶりに集まって夕食をともにしました。

一人がこのところ、人生初の体験である句会に凝って、どれだけ楽しい時間を過ごしているかをめんめんと語り出しました。投句の方法や評価されたときの嬉しい気持ち。他の人達の句の背景を知って感心する気持ち。話す様子から、彼と仲間たちの充実ぶりがよく伝わりました。句会の衰えない人気の秘密も理解できるというものです。

友達の楽しい話をきいて聞き手の二人は、じゃあこんどは、吟行も企画したらたのしいね、などと言って祝福しつつも、やがて句集を出したくなるのでしょう、とすぐに行く末を連想しました。わたしも「古本屋としても句集はねえ」と、「ねえ」で止めるコメント。古本として入荷の山に存在するならば、仕事ですから市場での扱いをかんがみて、適切と判断した対応をとることができます。しかし個人的にもらった場合はどうしましょう。いただいて楽しんだのももちろんあります、が。ここも「が」で止めましょう。

詩集はかなり好きです。一冊ひといきに読み通すと胃もたれするので、辞書のようにときどきぱっと開いて、出てきたページを読んだり、あちこち読んでよく噛むほうが、体質には合っています。

しかし句集は……。一句の中に、ある世界が凝縮されています。仮に単なる数だけ問題にしても、句は一行ですから収録数はどうしたって詩集より多くなります。だいたい複数をいちどきに受け取ることすら、しんどいわけです。見開きに四句だって多いのに、六句、十句はきついでしょう。一句はいっぱいのお茶のようなものですから、せいぜい二、三杯でよいとおもいます。まじめに読もうとするほどに、そういう気分になるのです。

「そもそも句に本という形態が合っていないのではないか」というのがそのとき思いついたわたしの意見でした。勢いにまかせて「だからせいぜい、日めくりくらいのアレンジがあってもいいと思うんですよね」

「ひ、ひめくり?」
「一日一句?」
「格言みたいに?」
「トイレにかざる?」
「相田みつを風?」

ビッグネームの連想にまで至り、句会の本人もワクワクモードです。その流れであらためて句集の未来について考え始めました。そうしたら、もっとよいことを思いつきましたよ。それはメモ帳出版です。

「やっぱりメモ帳にして。斜めにおける固定のボールペン付きでおねがい。それなら電話の脇に置くし。相手の待ち時間に一句読めるからちょうどいい。端に句がひとつ入っていて、あとはメモ欄。一枚一句ね」

我ながらナイスアイデアです。「これならもらってもいいです」

「紙の下の方に、句会の会場の店名と電話番号いれてもオッケー。これでスポンサーもとれましたね。どうしても、ということであれば紙全面に透かし模様で似顔絵をいれても構わないし」
親切アイデアも付加しました。

でも反応からすると、こちらのアイデアはむしろ負荷だったようです。
負荷?

負荷といえば、メモ帳出版なら本のようにあとあと形に残らないところも、受け手側の負荷低減に役立つではないですか!大発見。

メモ帳として機能を果たして役に立ち、しかもいつのまにかさりげなく消えてゆきます。いっぽう大好きになった一句については、冷蔵庫に磁石で貼ってもヨシ、額装してもヨシ、お友達への手紙に同封してもヨシ。すばらしい。これは書籍というスタイルでは真似できない利点です。

全国の印刷屋さんに版元さん、これからは「句集メモ帳」という新分野をお客様にお勧めしてみてはいかがでしょうか。

アイデアは妄想となり、さらに暴走となり、そして夜は更けてゆきました。

本の読む

数年前にななりますが、古本の市場で仕入れた本で、書名が「生命誕生の謎」だったか、古本屋の特権でちょっと読ませてもらった。読んで気がついたのですが、街で見かけるどの人もこの人も、犬も猫もすべての生物(DNAをもった生命)は、親からしか生まれてこないという事に。想像するに、ずっと前の世代は、農村の片隅で、あるいは魚を獲って、子供を育ててきたのではないでしょうか。そして、何千年何万年と命をつないできたのでは。

  DNAいのちをつないだ今をおもう

何がいいの?

ゴールデンウィーク真っ最中、ちょっと感じたことなどをひとくさり。
私達古本屋にとっての商品の仕入には大きく分けて二つの方法があります。
一つは各県の古書組合等が定期的に開催する交換会(古書の市場)。
そしてもう一つは、お客様が古書店に持ち込んだり、お客様のご自宅等にお伺いして本をお譲り頂く、古書買い入れです。
今日はそのお客様からの買い入れについての繰り言になります。

3〜4月は異動が多いシーズンゆえ、どうしてもお客様から本の買い取りのお問合せが多くなります。
そんなハイシーズンも終わりを迎えた本日も、お客様からのお問合せのお電話がありました。
お亡くなりになられたお父様の蔵書を処分なさりたいとのことで、先ずはお電話にてどんなジャンル、どのくらいの量かをお訊ねします。
どうやら全集ものが多い様子です。
当店の場合は、お電話口でどの様なジャンルのものをどの位あるのかを先ずお訊ねしています。
今回のように、ご自身の蔵書では無い場合も多く、大抵は要領を得ないやり取りになってしまうことが多いのですが、本日もそんな感じでした。

連休中ゆえ家族に店番を頼み、取り敢えずお伺いしてみることとしました。
お伺いしてみると、なかなかの蔵書量ですが、文学全集や百科事典、美術全集などが大半を占める構成で、お客様に現在ではこのような全集類は全くお値段にならない旨をお伝えすると、揃っているものを中心に残し、雑多なものはチリ交さんに頼んで軽トラック一台分、既に廃棄してしまったとのことでした。
今回のケースは古本屋にとってまさに典型的な残念パターンで、残っている単行本を見ても、当店の主力である仏教関係もそうですが、民俗学などに結構見るべきものがあったので、廃棄されてしまった分に面白いものがあったのではないかと推察出来る感じでした。
こういったケースはかなりの頻度で有り、一般の方は立派な装幀の全集や百科事典を残して、貧相な紙表紙の出版物なんかをゴミとして処分してしまう傾向があります。
でも逆にそんなものの中に価値のあるものが含まれている場合が結構あるんですよ。
古本屋の目で見ると、残っているものである程度捨てられてしまったものが類推出来たりもするんです。

本をご処分される場合は中途半端に廃棄する前に、先ずはお近くの石川県古書籍商組合の古本屋までご連絡下さい。
そこにある紙クズみたいに見えるもの、汚いからと捨てないで下さい。
それも貴重な史料かもしれません、古本屋はそれを社会に還元していくのが仕事なのです。
どうぞそのままをお見せ下さい、それが私共の望みでもあります。

さて、ここでタイトルの「何がいいの?」ということになりますが、これはそれぞれの古本屋が扱っているジャンルや得意分野にも依りますので、一概には言えません。
でも一つ言えるのは、需要と供給のバランスです。
多くのマニアが探しているけれど、その本の残っている数が少なければ、当然ながらその本は高値で取引されることでしょう。
逆に、在庫がだぶついていて、ニーズのない本は残念ながらその内容の如何にかかわらず市場価格は低いものになります。
ということで、残存部数が少なくて、一見稀少な本に見えても、市場のニーズがなければその本の古書価はさほどでも無いということになるのです。
改めてじゃあ何がいいの?って事になるかもしれませんが、それはそれぞれの古本屋のトップシークレットって事になるのかもしれません。

ちなみに今回は仏教関係、民俗学関係の本をご評価させて頂き、ご評価出来る本だけをお引き取りさせて頂きました。
当店では、百科事典等、ご評価出来ないものも含めてのお引き取りの場合、処分費を差し引き評価させて頂きお客様にご判断頂いております。
基本的に、本を拝見してからそういった事情をお伝えし、評価額にご納得頂いてからお引き取りさせて頂いておりますし、当然ながら万一金額が折り合わなければ、無理にお引き取りするようなことは一切ございませんし、そういった場合でも、評価に関する経費等をお願いすることもございませんので、どうぞご安心下さい。

また、直接店までご持参の場合も、予め電話などでご連絡頂けると、お引き取り出来ないものなどをお伝え出来ますので、ご遠慮なくお問合せ下さい。
どうぞ蔵書のご処分は、安心の石川県古書籍商組合加盟店にご依頼下さい。

長文になってしまいましたが、ご容赦ください。
このような駄文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。

組合員は今?

 皆様、組合員に2名の方が増えました。昨年から準備していたようです。これで23名になりました。多いか少ないか、どう思います。全国的にみると古本業界では多い方なのです。昔はともかく今も大学の多い方なのに、学生さんが本を読まない現状では、健闘していると言えます。
 かつて本は、貴重なもの高いものでした。今では各自がプリントアウト出来る時代。印刷物が安くなりました。コピーも5円になりつつあります。この変化について行けない年寄りが、組合には多い。男が多い。むさ苦しい店主ばかりだと思うでしょう?
ところが4人の女性が活躍しているのです。女性のため年はともかく、本好きで本屋が好きな女性たちです。近頃、全国的にも増えているようです。
 さあ、女性のあなたも、組合に入りませんか?(お金さえあれば簡単にはいれますよ)

有言実行

 新年おめでとう!と挨拶を交わしていたというのに、気がつけば1月も早や半ばを過ぎてしまった。そんなお正月気分もすっかり抜けてしまった過日、親しい友人たちと遅ればせながら恒例の新年会を催した。どこにでもある新年会だが、一つ変わっているのは参加者全員が昨年自己申告した「私の目標2011」の成果を発表し、次いで「私の目標2012」を宣言することである。
 順番に昨年の成果を自己採点して発表していくのだが、さすがにというべきか、やっぱりというべきか、100点満点はいない。それもそのはず、彼氏を作る、陶芸を極めるといった目標の友人たちは、設定が甘い、とみんなから責められる。一方、海釣りをする、店は休まないと宣言した友人たちは、誇らかに100点満点!で拍手を受ける。かくいう私の目標は、本を三点出版する!であり、結果は33点。そう、なんとか一点は日の目を見たものの、もう二点は見事に企画倒れであった。
 「夏休みにすること」とノートに書かされた小学生から、「売り上げ○○円、○○資格取得」と自己申告用紙に書き込んだ社会人となっても、私たちはいつも目先の目標に追われていたような気がしてならない。サラリーマンを辞め古本屋のオヤジになったというのに、年に一度昔と同じようなことをしているのには笑ってしまうのだが、一つ違うのは、今やりたいことを楽しんでやることができる「夢」を語っていることだろう。
 さて、オヤジの今年の目標だが……お楽しみは1年後に。

登山と仕事量

いつも一緒に山に登る人で、同じ山に登るのに、私の荷の1.5倍はありそうなものを、背負ってくる人がいる。中身を見て「小物が多すぎるのじゃないの」と言うと、「人間が小物にできてるもので」と、意に介する様子はない。 登山を登山口から頂上まで(標高差H)、荷物と自分の体重(M)を、運んでいく仕事量として考えてみると  仕事量=H×M  大したことがなさそうな1Kgの荷物を考える。1Kgの荷物を標高差1,500mを上げるとすると         仕事量=1Kg×1,500m=1,500Kgm これは、1個15Kgのダンボール10個を、ビルの4F(高さH=10m)まで運び上げるのと同じ仕事量になる。       この事を、先の人に言ったとしても、「ふう~ん」と言って鼻から息を吐くだけで、次の登山の準備の時には、「やっぱり登山の楽しみは、まずウィスキーを入れて、ビールは大を1缶にしようか、つまみは、これとこれを入れて。夏山は日差しが強いから、日焼け止めをいれて、それから…」となるに違いない。かの人はさておき、心ある方は、登山と荷物の重さの関係を、参考にされんことを。

  夏山は、風ふきわたり、ひと休み                                                             

どこでも読書

待ち時間が好きです。といっても、手のかじかむ風がびゅーびゅー吹くようなところでとか、悪臭でひどく居心地の悪い場所などといったら論外です。それに、ものには限度もあります。ですからもちろん、過酷な状況ではなくて、病院や免許更新など、ちょっとした待ち時間が好き、ということです。

どうして好きかというと、読書ができるからです。他のことができるときは、それらをしてしまいます。本の整理やデータ入力、メールの返事、家事、庭や畑の仕事、お出かけ、などなど。畑があると、栗拾いやら草刈やら、トマトの収穫とか梅干しつくりだとか、そんなことにも追われたりします。出掛けた先でほかのことができない状態に陥ると、「やったー!読書の時間だ」となります。鞄には活字のものを常備してあります。このまえは、サンダーバード内でみすず書房から届いた「パブリッシャーズ・レビュー」創刊号と、「図書目録」2012年版をめくるだけで、長距離移動がものすごく楽しくなりました。

美容院なども格好の読書タイムです。あまりヘンなものは持って行かないように、と思ったものの、こちらがヘンかな、ヘンじゃないかな、という些細な違いは美容師さんにはたいして関係がないようです。とりあえず「こちらの方は読書好き」ということで、もう扱いにも慣れられて、「何を読んでいるのか」など訊ねられることもなくなりました。「読書家ですね」といわれると、お客様のみなさんを考えて、とてもわたしなど読書家に入らないとおもいながらも、「本に追われているんですよ」とこたえました。一応それは正確なこたえです。

きょうはどうしても急いで読み上げたい洋書がありました。このところ、朝、家人たちが起き出す日の出前に、辞書を片手に読んでいます。それでつづきを美容院で読みたかったのですが、辞書持ち込みまではよろしくないでしょう。辞書無しで読むことにしました。ちょっとわからないところがでてきます。一方隣の席では、なにやらダンス教室に通っているという話の中高年男性が、今月で町会の仕事もおわるのでこのあと公式の外出の機会もないからと、大胆なヘアースタイルチェンジを謀っているようでした。「ほんとにいいんですね?」「ええ。問題といったら、娘にバッカじゃないの、と言われるくらいでしょう、あはは」など楽しそうに、美容師さんと話し合いながらカットをすすめています。つまり、ここまでつい耳が話をひろってしまっています。髪型がどういうふうに変わっていくのかも、すごく気になりました。外の風景を見るふりをしてチラリ。読書のほうは、少しはページが進んだものの、集中できないまま時間が終了となりました。

ああ、これだったら美容院でしか手にとらないながら、楽しみにしている雑誌の「VERY」の熟読すればよかったなー! ああ、しかも今月は井川遙大特集だったのねー! しっぱいしっぱい、と、ややアホな後悔をしながら帰途についたのでした。

前髪も切りすぎでした。

スマートフォンやらタブレットやら



今日は古本の話題から外れて、最近感じたことなどをひとくだり。

さて、やれパソコンだ、ITだと世の中が大騒ぎしていたのは、もう10年以上も前のことになるのだろうか。
いまや時代はパソコンどころではなく、やれスマートフォンだ、タブレットだとやらを持ち歩かなければなりません的な時代になった様なのである。
かくゆう自分も、既にスマートフォンを持ち歩き始め、はや一年と数ヶ月を数えるに至っているのである。
先日、所用により東京に出掛けた時なども、いまだ北陸新幹線開通も先のこととて長時間を過ごす電車の中において、これほど重宝なものは無いなとつくづくと感じ入った次第なのある。

兎に角もこれ一台ぶら下げていれば、メールチェックやWebブラウジングは云うまでも無く、暇潰しにゲームなんぞも出来るし、近隣にお喋りな乗客でも乗り合わせることになれば、音楽プレーヤーとしてイヤフォンで両の耳を塞ぎ、耳障りな世間話などをスルーすることだってお茶の子さいさいなのである。
久々の東京に着いてしまえば、昼に何を食べようかなどと思い悩んでも、マップに付近のグルメスポットを表示させ、和食、フレンチ、イタリアン、中華にエスニックとなんでもござれ。
宿泊先への道順だってスムーズにご案内、途中に面白い光景でも見付けようものなら、内蔵のカメラでパチリと撮って、ツイッターやらFacebookに投稿して地元の友人とコミュニケーションを楽しむことなんかも出来る訳である。

でもね、こんなにどっぷりとスマートフォンに依存している自分でも、東京都内の電車に乗っている時に、一寸ぞっとする光景を目にしてしまったんだ。
それは何かと云えば、電車に乗っているかなりの部分の人々が、黙々と携帯電話やスマートフォンを操作しているところが眼に入ってしまうというもので、田舎暮らしで普段通勤で公共交通を利用したりしない自分にはやはりどこか馴染めない光景なのであった。
と云う訳で、帰路はスマートフォンを胸ポケットにしまい込み、東京駅でしこたま買い込んだビールやらツマミやらを嗜みつつ、車窓を流れる風景に眼をやりながらの旅路を楽しんだ訳である。

ああ、でもタブレットも欲しい。
だってスマートフォンの画面は小さすぎて老眼の進みつつある我々年代には辛いんだもん。
だが待てよ、そういえば先立つものも無いし、やっぱり使い慣れたノートパソコンが一番手に馴染むだよなぁなどと、ロートルは溜息雑じりに呟くのであった。

おしまい。