2006年5月13日 (土)

忘れ果てられた、こないだ 1

huruhonn

(以下はすでに廃刊になった地域無料紙に発表した記事の再録。ホンの一寸語句などを訂正。ちなみに廃刊案内は直接聞いておらず、噂で聞いたのみ。もし関係者ご覧になったらいつでも連絡下さい。それではどうぞ。)

「忘れ果てられた、こないだ―地域ふるほん・ふるほん地域 1」
●「コーヒーのみあるきマップ」『おあしす』81号、1976年8月 (金沢百選会) 66p 4,000円

 読者のみなさま、秋も深まる中、もうお忘れかもしれませんが今年の夏はいささか暑かったようにも思います。そんなこの夏に扱ったふるほんより。

 月初頭真夏日、「ふるほんがあるので、引取りに来て欲しい。」との電話を受けました。うだるような暑さにやや弱気になりながらも、どんなふるほんに出会えるかと急いで出かける現金さ。お伺いしたお宅は、玄関入り口前に看板があがる、お花のお師匠邸。何でも、他の古書店にも連絡をしたが文庫や雑誌ばかりなので、断られたとの由。ふるほんや若手・新参者・後発参入組の私は、当市の職業別電話帳『タウンページ』をご覧いただければおわかりのように、書籍・雑誌はもちろんのこと、あらゆる紙モノ資料の買取りを歓迎いたしている旨の案内を掲出。お花のお師匠は、この広告を見て、「もう最後のつもり」と弊店に依頼したようです、ありがたい。

 午後2時、気温35度、すでにふるほんは玄関前に並べられ、サンサンと太陽を浴びている。ここ10年ぐらいの生け花関係の雑誌、カバーのない「裸」文庫など500冊くらいが白日の下にさらされている。ウ~ン、これはいかんともしがたい……。やはり他の古書店のように引取り出張のハードルをきっちり、かしこく設定せねばならぬのだろうか……。真夏炎天下、私は何をやっているのだろうか……、暑さと想念でクラクラしているそんな時、生け花雑誌の下敷きになっていた、1970年代地域ミニコミタウン誌『おあしす』のかたまりをおりしも発見。ああ、救われた。

 さてそのうち、「コーヒーのみあるきマップ」という特集号の『おあしす』81号をご案内します。その内容は「一杯のコーヒーから……―金沢の喫茶店盛衰記―」という歴史をさぐる記事にはじまり、1976年当時の各喫茶店マッチラベル、所在地図、ブレンドの値段や名前の由来について聞くアンケートというものです。30年近く前の喫茶店マッチラベルは眺めているだけでも楽しいものです。

 この『おあしす』は、何か町を歩いて歩いて作られた誌面となっているように感じます。町を散歩すること、ブラリと喫茶店に入ることが日常だった時代の雑誌といえます。

 2004年秋、地域雑誌『■』創刊号、寄稿の光栄に浴することができた弊店。その弊店がこの夏、誌歴を今も重ねる「先輩」誌『おあしす』に出会ったのは、これ何かの書縁かもしれぬ、と今にしてふと思う。

2006年5月12日 (金)

本立て

阿吽

 十代の終わり頃、当時大好きだったサイモン&ガーファンクルの曲が使われていた映画『卒業』を見た後、レコード店で彼らの出たばかりのアルバム『ブックエンド』を買って帰った。“ブックエンド”という詞が出てくるのは、公園のベンチに座りもの思いに沈む老人を、ブックエンドにたとえて歌う「OLD FRIENDS」1曲だけであったが、若かった私は、この歌に込められた“老い”というメッセージに、全く興味を覚えなかった。

 五十代に入り、古本屋を始めたその一年目の冬休みのこと。夜の長い北欧の街を旅していた私が、コペンハーゲンの雑貨屋で見つけたのは、両手を高々と上げた人のシルエットをした“本立て”であった。それは、金沢から遠く離れた所までやってくることが出来てよかった、と元気よく両手を振っている姿であり、また三十年余りもよく働いてきたもんだ、と腰を伸ばしているようでもあり、やれやれこれからの人生はのんびりいかなくちゃ、と深呼吸しているようにも見え、嬉しくなった。そんな私の気持ちを表している“本立て”が、今私の机の上でしっかり本を支えてくれている。

本立て ところでこの“本立て”なるもの、机だろうが床の上だろうが、どこでも簡単に本をしっかり立たせてくれるので、本好きの私はとても重宝している。今年の冬休みには大きな本箱を片付けて、代わりにベッドサイドに小さな本棚を設けたので、そこに例の“本立て”を1個置くことにした。配偶者の本棚にも余った1個を置いたところ、「本立てなんて要らないわ」とあっさり断られてしまった。

 「だって横になって読むのだから、本も横にして積んどけば背文字も見やすいでしょ!」

 本棚の隅に追いやられた“本立て”は、支えるべき本もなく、あきらめ顔でバンザイしている。

ほんたて【本立(て)】

本を立て並べ、倒れないように両側から支える道具。

ブックエンド。ほんだて。

<新明解国語辞典>

2006年4月29日 (土)

まだひんやり

柳行李

北陸にもようやく春です。ですが古本屋というものは、なんだかいつも「ひんやり」しているとおもいませんか。冬のあいだ家は暖房などであたためられます。寒かった外の道も、いまは春の日差しがあたためてくれます。

ところが古本屋の中に入ると、ここだけはまだまだひんやり… そんな経験ありませんか。古本屋ではなぜか暖房もあまりきかないようですね。たとえ暑い夏の盛りでも、本と棚のあいだのすきまに手をいれるとそこだけひんやりしてびっくりすることもあります。わたしの店だけでしょうか?

学生の頃、夏に制服で新刊書店へ入ってじーっと棚を眺めて考えていると、いつもお腹が痛くなったものです。冷房がとてもきつく負けてしまうのでした。冷や汗をかきながら何も買えないまま表にでることがよくありました。そとはもわっと暑くアスファルトから熱気を感じてほっとしました。でもこれは遠い町でのはなし。

石川の古本屋で冷房ガンガンにしているという店は、ちょっと今おもいつきませんよ。木造の店ならなおさら。風も通り抜けますからね。

2006年4月19日 (水)

領収書の話

鴨嘴


古本屋も商売であるから、商品を売って代金を受け取る。求められれば領収書を発行する。対面で現金を受取りそのお客さんの名前に宛てた領収書を出すのなら何も難しいことはない。しかしそうでない場面が古本屋には(別に古本屋でなくても)あるのだ。あとでよく考えると「?」ということがしばしばある。

そこでちょっと調べてみた。最近ではたくさん出版されている、SOHOや個人事業者向けの経理入門書などを見ても、インターネット上の情報を検索しても、領収書の**もらい方**、管理(「ちゃんと領収書を発行してもらいましょう。確定申告のときに大切ですよ」的情報)について述べているものは多いが、**書き方**、すなわち発行する側の立場から述べているものは少ない。せっかく調べたのでここに公開する。

私はもちろん専門家ではない。以下、調べたことと普段の経験から述べるものであることをお断りしておく。もし誤りがあったらお知らせください。

=== 名称 ===
「領収書」「領収証」などと呼ばれる。「レシート」も本来同じ意味だが日本語では「機械で打ち出されるアレ」を指すことが多い。
法律では民法486条に「受取証書」として出てくるが「領収書」「領収証」という言葉はない。

この文章にはこれらがごちゃ混ぜで出てくるが気にしないでいただきたい。

=== 根拠 ===
[[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html#1000000000000000000000000000000000000000000000048600000000000000000000000000000|民法]]に
> (受取証書の交付請求)\\
> 第486条 弁済をした者は、弁済を受領した者に対して受取証書の交付を請求することができる。
とある。これを発行者(「弁済を受領した者」)側から見ると、“求めがあった場合、受取証書(領収証)を発行しなければならない”と読めることになる。

しかし法的にはこれだけで、受取証書(領収証)はどのような要件を備えていなければならないかという定めはない((「3万円以上の領収書には収入印紙を貼る」というのは印紙税法の規定(印紙税法では「売上代金に係る金銭又は有価証券の受取書」([[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S42/S42HO023.html#3000000001000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000|印紙税法別表第一第十七号]]) )であって、印紙がなければ領収書ではないということではない。営業に関しない受取書には印紙貼付の義務もない))。

法律には漠然とした記述しかないが、「商習慣」というものがある。むしろ商習慣が先にあって、法律はそれを明文化したものと言えるだろう。たとえば[[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S63/S63HO108.html#1000000000000000000000000000000000000000000000003000000000000000000000000000000|消費税法]]には
> 第30条9\\
> 第7項に規定する請求書等とは、次に掲げる書類をいう。\\
> 1.事業者に対し課税資産の譲渡等…を行う他の事業者…が、当該課税資産の譲渡等につき当該事業者に交付する**請求書、納品書その他これらに類する書類**で次に掲げる事項…が記載されているもの\\
> イ 書類の作成者の氏名又は名称\\
> ロ 課税資産の譲渡等を行つた年月日…\\
> ハ 課税資産の譲渡等に係る資産又は役務の内容\\
> ニ 課税資産の譲渡等の対価の額…\\
> ホ 書類の交付を受ける当該事業者の氏名又は名称
とある(領収書は「その他これらに類する書類」)。消費税法ができる以前から、あるいは現在においてもたとえ消費税にまったく関係しない場合でも、領収書とはここでいうイ–ホ、それに受取証書であることを示すもの(「領収書」などの表題とか「受領しました」などの文言)を備えているものであるという共通認識があり、この法律はそれを追認したものと言える。

=== 立替払いの場合 ===
目の前で直接現金で支払われる場合は明白で、これが一番単純な場合である。

さて、購入者と違う宛名(例えば会社名)の領収書の発行を求められたら、どうか?

立替払いをした当該個人が会社の社員ないし従業員であれば、その人は会社の代理で立替払いをしたことになる。この場合、その人の行為は基本的に会社に帰属する。これ以降は、受取証書に関する通常の権利義務関係と同じ流れになる。

領収書を発行する側の立場から言わせていただけば、立替払い扱いについて、領収書受領側からの説明が足りないことが多い。もう一言説明をしてもらうと気持ちよく作業できることが多い。

===銀行振込の控は領収証の代わりになるか?===
古本屋は目録販売など昔から通信販売を行なってきた。最近ではインターネットでの販売も増え、これらの場合の決済のほとんどは郵便振替・銀行振込である。

購入者に領収書の発行を求められた場合、販売者には発行義務があるのだろうか。

経理(税務)上、振込の場合の振込証書は領収証と同等の証明書類となる。このことは裁判所の判例ないし証拠採用の実績および学説によって裏付けられる((という記述を見つけたのだが、その具体的な判例・学説を見つけることはできなかった))。

ただ厳密に言うとこの振込証書は「領収証そのもの」ではない。

銀行振込の場合、銀行は振込依頼者からお金を相手へ渡すことを依頼されているわけではない。そういう契約にはなっていない。銀行が任されているのは、いわばデータの移し変え作業であり、お金の受け渡しは振込元と振込先とが直接にやっている扱いとなる。つまり現金をじかに渡したのと同じことになる。そうすると銀行が発行する振込証書はあくまでもデータ移し変え作業依頼受託書でしかなく、領収証とは言えない。

つまり厳密には、銀行振込の場合には振込元のほうから領収証発行を求めることができる、というわけである。

通信販売の注意書に「振込の場合は領収証の発行はしません」と書いておくことが多い。
これが売買の条件のひとつですよ、振込の場合は領収証の発行は求めないでくださいよ、というわけである。

いずれにしろ振込の場合は記録が残るので領収証がなくてもよいという実務上(税務上)の慣習があるので、発行を求められることはあまりない。ところが前節との合わせ技、すなわち個人名義の口座からの振込で会社名の領収証を求められる場合がある。この場合は前節のとおり領収証を発行することになるだろう((支払者は銀行振込の記録で一度、領収証でもう一度、と不正に経費を計上するかもしれない。その不正に加担しないことを保障するためか「振込の場合の領収証発行は振込明細書と引換え」などの但書きをしている通信販売業者も見られる。しかしそこまでする義務は販売者側にはないのではなかろうか。下手をすると今度はいらぬ個人情報の収集と言われかねない。))。

—-

長くなったので、[[http://ishikawa.kosho.gr.jp/achv/68|この話の続きは後日]]。

2006年3月26日 (日)

犀星忌

柳行李

3月26日は犀星忌です。いまから45年前、1962年3月26日犀星は72才で亡くなりました。犀星が引き取られ20歳までを過ごした犀川大橋たもとの雨法院では犀星をしのぶ催しがあり、地元文学研究者による「室生犀星をめぐる若ものたち」と題された講演がなされました。

本人の意思で、どの宗教にもよらずに青山葬儀場で告別式は行われ、その際中野重治が葬儀委員長をつとめたそうです。中野のほかに、堀辰雄、窪川鶴二郎などなど実にたくさんの若者に慕われた犀星、若者たちに自らを「先生」とは呼ばせませんでした。みな親しみをこめて「室生さん」と呼んだそうです…

雨法院ご住職によると「ここの杏の花は例年なら今頃もう満開になるのですが、今年はやっと2、3日前に咲き始めました」とのこと。

金沢はまだ寒く、帰りは春の嵐めいた風がヒューヒューしていたくらいです。院内でもストーブをつけての集まりでした。

2006年3月25日 (土)

石川の古本屋サイトがブログ化

近八書房

こちらを訪れて下さった皆様、ようこそいらっしゃいました。
このサイトは石川県古書籍商組合という古本屋の組合団体により運営されております。
申し遅れましたが、私は当組合の理事長を仰せ付かっておりますchikahachiと申します。
石川県古書籍商組合はこのサイトの組合加盟店一覧にありますように、24店舗の加盟店にて構成されております。
お近くにお立ち寄りの際は、ちょっと覗いてみて下さい、懐かしい本、探していた本、新しい発見に出会えるかも知れませんよ。

このサイトがオープンしたのは一昨年の10月、全国古書籍商組合連合会(長い!)が制定した「古書の日」(10/4)並びに「古書月間」(10月)を記念してオープンしました。
しかしながらついこの間までは、組合の紹介と各店舗の案内がひっそりと掲載されただけの、変化に乏しいページでもありました。
それでもアクセスログを見ればそれなりに多くの方々が検索を通じてこのサイトに訪れて頂いていました。
そこでこれではいけないとばかりに、今春より当サイトの活性化を図るべくサイト全体をブログ化して、組合員の古本屋が自由且つ簡単に、各店なりの記事を掲載出来る様にしたのが、今見て頂いているこのサイトです。

ご訪問頂きました皆様にもコメントをしていただくことが出来る様になっておりますので、何かお問い合せやご意見が有ればどうぞお寄せ下さい。
何分にも数名を除いては、ブログ自体が初めてというメンバーばかり、何卒温かい眼で見守って頂ければ幸いです。
今後とも石川の古本屋をよろしくお願い申し上げます。

2006年3月24日 (金)

ブログの字が小さすぎる

鴨嘴


あちこちのウェブページを見ていると、字が小さくて読みにくいところがよくある。特にブログと呼ばれるところはだいたいの場合、字が小さすぎるくらい小さい。

今回、当ページをリニューアルするためにいくつかのブログを提供しているサイトやソフトウェアを見て回った。最初から小さい文字に設定してある場合がほとんどで、そうなっていると、たとえ後から利用者が変更できるとしても多くの人はそのままにして使っているのだろう。なかには文字の大きさを利用者が変更できないところもあるようだ。

我々が扱う紙に印刷された本を見てみよう。文芸書や文庫本の文字の大きさは、時代を下るにしたがって大きくなってきた((明治まで遡ると逆に大きい感じもするが、それは技術的制約のせいではなかろうか。))が、雑誌、それも特に「おしゃれな」類の雑誌の文字は逆に小さくなってきている。『太陽』『銀花』『サライ』などは対象年齢が高いからか、まだ少しは大きい。それでもエッセイなどはよくても図版の多いページでは小さな文字になる。

> 大判のファッション雑誌や音楽雑誌の文字は、もうほとんど添え物というか、デザインの一部のように小さな文字になったりします。それでいて見出しはすごく大きかったり。\\
> つまり、見た目のデザインを重視したい人にとって「文字は小さい方がスタイリッシュ」ということは、もう考えるまでもない事実なのですね。\\
>

デザイナーがウェブの文字サイズを小さく固定したがる理由


ブログの外側(([[http://e-words.jp/w/CMS-1.html|CMS【コンテンツマネジメントシステム】]]))をデザインする人たちはまさにこの感覚なのだろう。パソコンの画面の大きさは知れており、そこにデザインの余地を作るためには文字を小さくしなければならない。

しかし、ここまでくると本末転倒ではないかと思えるのだ。読んでもらうための文字が読めないほど小さい。読む側はブラウザの表示の設定などで文字サイズを大きくする。するともうデザインは崩れてしまう。そこで制作側はさらに小さな文字を指定したり、あるいは文字の拡大ができないよう固定値を設定する(そのため字は小さいままで結局読んでもらえない)…。

もちろんそんなページがあってもよい。そういう考えがあるのなら。だがこのページは「でかい字でやぼったいな」と少しくらい思われても「小さくて読みづらいな」と思われたくはないのだ。いや、はっきり言うと執筆者の平均年齢47歳、読者の平均年齢?(推して知るべし)だと切実な問題なのだ。はじめに設定されていた文字の大きさを片っ端から変更した。できるだけ読みやすさとデザインを両立させつつ、今後も少しづつ手を加えていくつもりだ。何かお気づきの点がありましたらお知らせください。

2006年3月20日 (月)

古本屋の趣味

山と碁

どうも店に座っていても商売にならないし、ということで先日スキーに行ってきました。

天気にも恵まれましたので写真を一枚。

スキー場

世の中の憂さを晴らしにスキー場    お粗末。

2006年3月15日 (水)

捨ててこそ得る

柳行李

3月になってすこし気温も上がってくると、さてこれから暑くなるまでの間は少しいつもより忙しくなる。

春は移動の季節。人の移動(異動)もさることながら、気温があがって晴れの日が増えてくると、みなさん窓をあけて、ふう、と荷物の移動にも着手されます。少なくとも「やらなくては、嗚呼やらなくては」という気持ちになるものです。

「本を見に来てください」「買取していますか」と声がかかりはじめるとやっと年が明けたような気になります。

最近「捨ててこそ得る」と題した本を見掛けましたが


仏教を読む 8
松原泰道/平川彰編集
集英社
1984
ISBN4-08-183008-8

古本整理のことか?、と古本屋は勝手にピーンとくるのでした。

でもすっかり「捨て」てはしまわずに、まずはお近くの古本屋におしらせ下さい。するとなにがしかを「得る」こともあるのです。

2006年3月6日 (月)

豆本(まめほん)

阿吽

 昨年、『豆本講座』と名付けたワークショップを開催した時のことである。いくつか問合せがあった中に、“豆本”ってなんですか、という質問が一人の女性からあった。

 もともと愛好家のために作られることが多い“豆本”だが、その中身はと言えば、エッセイ・詩集の類から料理レシピにいたるまで、実に多種多様である。

 このようなことを説明する私も大変だが、質問してきた女性はもっと大変である。

 「面白そうですね。ところで、ワークショップはご主人が先生ですか?」

 「いやいや私にはとても……。講師は大阪から、“おまめさん”と呼ばれている女性の方に来ていただきます」

 「エーッ、おまめさん、ですか、ウソー!」

 とにもかくにも、話はなかなかワークショップの中身まで行き着かないのである。

 「本にするものを持っていけばいいかしら」

 「今回は、“豆本”の基本を学ぶだけなので、お好きな“豆本”作りは後になります」

 さて、ワークショップ当日である。小柄なおまめさんこと柴田さんが大きな袋を抱えて現れ、中から“豆本”に使うと思われる紙類はともかくとして、針金や金槌までが出て来るとは参加者のみならず、この私も驚いた。

 かくして二時間の講習も無事終わり、かの女性の手のひらに可愛い“豆本”が一冊載っていたのは言うまでもない。

 「味のある“豆本”を店の本棚に並べようと思うのだが……」

 と、配偶者に話したことがある。

 「そうね、あの時のみんなの“豆本”、可愛くてよかったわね。でもカフェだと目立たないから、“豆本”の代わりに“豆ダイヤ”を私の耳につけるというのはどうかしら」

 以来、我が家で“豆本”の話はしたことがない。

まめほん【豆本】①(携帯用に便利なように作った)小型の本。②(愛好家だけに頒布する)装丁に善美を凝らした超小型の本。<新明解国語辞典>

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